過去の目撃情報

記録のある過去の目撃情報1

江戸末期に松浦武四郎が書いた日誌 (三航蝦夷日誌、西蝦夷日誌) に書かれている1846年春に、塩谷沖から高島岬方面の高島おばけを目撃したものが、今のところ、一番古い記録のようです。時代としては、北前船[弁財船/千石船]が活躍した時期とほぼ一致しているので、以下のような船の蜃気楼を見ているかもしれません。

北前船 (高島おばけとなった想像図)
通常の状態 伸び上がり 正立像+反転像

最近の例では、以下の左から2018年7月31日に撮影した漁船が伸び上がりと小さな反転像が見えます。次は2014年6月3日の漁船で大きく反転像ができ、まるで幽霊船のように見えます。北前船もこんな感じだったのでないでしょうか。以下の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

それ以前にも現象としては起こっていたようですが、正確な記録がありません。ただ、『蝦夷行程記(1856)[阿部喜任(櫟斎)]』 が参考とした旅行記(=『三使採薬行記[阿部照任(将翁)]』)が見つかれば1729年5月頃となる可能性があります。

 

記録のある過去の目撃情報2

高島おばけの過去の目撃情報
過去の目撃情報地図(推測)

近年、一番古い上位蜃気楼(=高島おばけ)の記録としては、おそらく1998年5月12日の正午頃、 現・小樽市総合博物館大鐘が高島からドリームビーチ方向に向け撮影したものでしょう。その翌々日の北海道新聞 (全道版)社会面に撮影された画像と記事が掲載されています。---1846年以来の貴重なものといえるでしょう。

 

ところで、真偽は定かではありませんが、明治時代に小樽中心街の基礎をつくった人物、榎本武揚が小樽沖合いで「竜の光」を見たと述べています。

 

さらに、『(旧)高島町史』(高島尋常高等小学校 1941)という本には昭和10年(1935)頃、元高島小学校教諭、高橋和夫氏が、 冬に赤岩山(371m)絶壁より海上に蜃気楼が出たことを目撃したと記述されています。しかし、いろいろな資料を調べましたが、その正確な日時が書かれていません。たとえば、北海道史年譜[昭和24年]や小樽市史年表[昭和28年]にも、昭和10年冬(1~2月?)に、 『高島沖に蜃気楼が現れた』との記載があるのですが、日時が書かれていないのです。誠に残念です。

 

記録のある過去の目撃情報3

大鐘氏が1998年(平成10年)に「高島おばけ」を確認し、記録してから毎年、『春の風物詩』として新聞等にも掲載され始め、除々に認知されてきました。また、私自身も2004年からは毎年、このシーズンになると、それを観察しています。そのときに撮影した画像や動画が新聞やテレビ等でも紹介されています。

 

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