本・書籍

一般向け

高島おばけ』について書かれたものは、おそらく次の3冊に集約され、多くはそれらを引用していると思われます。

 

三航蝦夷日誌 松浦武四郎(再航蝦夷日誌;1850[嘉永3年])

  • 活字復刻本(吉川弘文館、吉田武三校註 1971~72[昭和46~47年])
  • 校訂『蝦夷日誌』(二編、秋葉實[翻刻・編]、1999.12[平成11年])


蝦夷行程記 阿部喜任(櫟斎)(1856[安政3年])---元資料は、喜任(櫟斎)の(曽)祖父、阿部照任(将翁)が記した『三使採薬行記』(1750頃)等のようだ。実際、照任は、蝦夷に数度来て、1729年5月には小樽方面に来ている可能性がある。

  • 『(旧)高島町史』(高島尋常高等小学校 1941[昭和16年]』
  • 『祝津町史』(樋口忠次郎編著 1972[昭和47年])
  • 『新北海道伝説考』(脇哲:北海道出版センター 1984[昭和59年])


西蝦夷日誌 松浦武四郎(1863[文久3年]頃)---単なる読み物らしい

  • 『小樽港史』(1899[明治32年]:高畑宜一)
  • 『北海誌料』全 林顕三編(1902[明治35年])---高島蜃気楼と記述
  • 『小樽市郷土地理教授資料』(手宮国民学校 1941.3[昭和16年])
  • 『(旧)高島町史』(高島尋常高等小学校 1941.8[昭和16年]』
  • 『小樽のおいたち』(みやま書房 越崎宗一、樋口忠次郎他2名 1957[昭和32年])

 

  • 『蝦夷日誌(下)』(時事新書 1962[昭和37年]:吉田常吉編)
  • 『祝津町史』(樋口忠次郎編著 1972[昭和47年])
  • 『小樽文化史』(1974[昭和49年])
  • 『北の天気』(浅野芳 監修:北海道新聞社編 1976[昭和51年])
  • 『新北海道伝説考』(脇哲:北海道出版センター 1984[昭和59年])

 

  • 『西蝦夷日誌 下』(吉田常吉編;時事通信社 1984[昭和59年])
  • 『小樽フォークロア12 第5話』 脇哲 著---『新北海道伝説考』(1984[昭和59年])の抜粋
  • 『新高島町史』(高島小学校 1986[昭和61年]』
  • 『蜃気楼文明』(ヘルムート・トリブッチ 工作舎 1989)---訳者あとがきにて『蜃気楼有情』(北日本新聞)から抜粋
  • 『しりべしむかしばなし』(ふるさと昔ばなし編委 1994年[平成6年])

 

  • 『北海道おどろおどろ物語』(合田一道:幻洋社 1995[平成7年])
  • 『蜃気楼の楽園』(ヘルムート・トリブッチ 工作舎 2000)
  • 『妖怪事典』村上健司(2000[平成12年])

その他に、高島沖に『蜃気楼』が現れたと書かれたものに、『北海道史年譜』(1949[昭和24年])や 『小樽市史』などがあります。---1846年(弘化3年)松浦武四郎や1935年(昭和10年)頃の高橋和夫氏の目撃情報を記載。

また、『高島おばけ(=蜃気楼)』が現れたときに作った松浦武四郎短歌を掲載しているものもあります。 『高島雑記』(河合吉兵衛 1937)や『祝津赤岩名所案内』(祝津赤岩保勝会 1938頃)、『(旧)高島町史』(高島尋常高等小学校 1941)、『蝦夷日誌(下)』 (時事新書 1962:吉田常吉編)の中などです。

 


さて、2005年に発行された詩集や歌集の中に、『高島おばけ』(=蜃気楼)とおぼしき内容の詩がありましたので、 これもご紹介します。 『運河慕情』(八峯有作)の中の『蜃気楼』という題名の作品です。元水道局職員が自費で出版。小樽・札幌・余市の書店で取扱いしている。

これには、増毛連峰の山々の上にもう一つ山脈があるように表現されていて、おそらく内容から時期は4~5月頃で、札幌方面から小樽へ向かう途中(銭函~張碓神社付近)の高速バスから見たもののようです。
私と違い、文字で表現するところが詩人や歌人のすごさですね。

しかし、ここでも『高島おばけ』という言葉は出ていません。詩や短歌、歌詞などで使うには、『高島おばけ』では、ぱっとしない。やはり、季語としても使われる『蜃気楼(しんきろう)』という言葉の方が、語呂がよく広がりがあるようです。

書籍おたる案内人の表紙

それから、2006年11月に発行された『おたる案内人(小樽観光大学校)』2100円には、私のサイトから引用したと思われる高島おばけの文章が掲載されています。(p165~166)

 

しかし、これが検定試験公式テキストなのに、今のところ掲載許可依頼がきていないのはなぜだろう。掲載しても構わないが、一言連絡してきてもよいだろう。

書籍おたる案内人の表紙

2016年4月、蜃気楼の写真集が出版されました。日本各地の情報が写真としてビジュアルにわかりやすく表現されています。

「蜃気楼のすべて!」(日本蜃気楼協議会:草思社 1800円)

子供向け

小学校以下向けと思われる『高島おばけ』関連の話を見つけました。

■『小樽のおいたち』(みやま書房 越崎宗一、樋口忠次郎他2名 昭和32年発行)
小学生向けと思われる本で『高島おばけ』が紹介されています。『北ざかいの海上にむかしかしんきろうがたびたびでた』と記されていて、描かれている絵は、『西蝦夷日誌』(松浦武四郎)で田崎早雲が描いたものと同じもののようです。ただし、昭和42年に発行された新修版の『小樽のおいたち』(樋口忠次郎)では、『高島おばけ』の絵がカットされているようです。

■『しりべしむかしばなし』(ふるさと昔ばなし編集委員 1994年)
この中に『おばけになったしんきろう』 という題で書かれていて、その内容は、『西蝦夷日誌』(松浦武四郎 1863年頃)の内容を子供向けにアレンジし、創造で作ったもののようです。書き方を平易にし、イラストが入っているのでわかりやすいでしょう。 小樽市立図書館に資料があるので、興味がある方はどうぞ。

さて、その中に、創作とはいえ興味深い点が書かれていました。昭和8年~27年まで存続していたオタモイの『龍宮閣』(=絶景を楽しむ料亭)が、 実は、高島おばけ』のイメージ、すなわち、たとえとして表現されている宮殿龍宮城をまねて建てられたものではないかという点です。信憑性は定かではありませんが、そうであればおもしろい。
(おとぎ話、浦島太郎に出てくる龍宮城は、蜃気楼化された島や地形、小屋などがそのように見えたためであろうと推定される)

尚、この『龍宮閣』は、花園町にあった割烹『蛇の目』の店主、加藤秋太郎(1869-1954)が、知人に 『小樽に名所がない』といわれ、一念奮起して、当時のお金で35万円をかけて建てたものだそうです。

サイトや書物でその写真を見ると、懸(かけ)造りの『龍宮閣』は、京都の清水寺と比較されるほどのすごい建造物だったようです。 戦争で休業していた後、再営業の前日に焼失したとは、誠に不運としかいいようがありません。 (昭和17年にはすでに別の所有者[吉岡太陽氏]へ)

この焼失した『龍宮閣』は、時代という風によって消えてしまった『高島おばけ』そのものだったのかもしれない。

ついでに、全国展開している小中高対象の進学塾、えいすう総研(eisu)の副教材、サイエンスバーガーに、当サイトとその画像が掲載されました。 小樽ドリームビーチ沿いの海の家が蜃気楼化された画像です。残念ながら、「高島おばけ」という地元特有の名前は使われていませんが、また一歩、全国的にも知られるようになりました。

 

2008年10月号

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